『浅草オペラの生活―明治・大正から昭和への日本歌劇の歩み―』内山惣十郎 雄山閣 昭和42年 A5判 P238 函イタミ 函口および本体背から表紙にかけて濡れ跡大、裏表紙黴有 《※こちらの書籍は売り切れとなりました 2/21追記》
明治三十年生れの著者は大正初期、浅草オペラの草創期からその世界に関わってきた演出家・脚本家・俳優。
駆け出しの頃は演劇雑誌編集の小間使いとして森鴎外、徳田秋声らとも接し、日本人で初めて世界的な成功を収めたオペラ歌手・三浦環とも面識を持ち、のちには俳優として、演出家として、エノケン、ロッパをデビューの頃から見ているというのですから、まさに生き字引と呼ぶにふさわしい人物です。
そういう著者の手になる本書が、単に記録ばかりダラダラと羅列された退屈な本であろうはずもなく、当事者として関わり続けた人間にしか書けない、浅草オペラの栄枯盛衰、内情についての貴重な証言の数々。
さて、その中にとりわけ興味深い記述を見つけたというのは、大正六年京都でのいきさつ。
この前日までに大阪、岡山と公演してきた著者でしたが、諸々のトラブルに見舞われ、まだ立ち上げたばかりだった一座は解散、東京に帰る金もなく、どうにかこうにか京都まで辿り着き、そこでたまたま東京の顔見知りに出会ったのを幸い、一夜をやり過ごすだけの算段もついた、そのあくる朝。
まだ昼までには時間もあるので、また四人づれで三十三間堂から清水寺にお詣りし、円山公園へ抜けようとして高台寺へ来ると、フト竹久夢二の表札が目についた。
貧乏旅行の失敗談かと思いのほか、突然華々しい名前が登場しました。じつは著者の内山惣十郎、夢二が日本橋呉服町に「港屋絵草紙店」を構えていた頃に絵の手ほどきも受けたことがある顔馴染み。その後オペラの仕事で東京を留守にしている間に港屋が閉店し、消息も知れずにいたところが、思いがけず足止めの京都で再会を果たした、というわけで。
懐かしさがこみ上げて訪問すると、夢二は大喜びで四人を迎え入れ、八坂の塔の見える二階に招じ、昨夜らいの事情を聞いて大笑いし、
「急行券は買って上げるから、ゆっくりし給え」と、思い出したように机の抽出しから一枚の楽譜を取り出した。
「これは僕の詩に、多忠亮という人が作曲して送ってくれたのだが、僕は楽譜が読めないので、どんな曲だかわからないんだ、一つ歌って聴かしてくれないか」と言うので、受取って見ると「宵待草」と書いてある。早速小島が楽譜を見ながら、
待てどくらせどこぬ人を…」と歌うと、眼を閉じてじーっと聴いていた夢二が、
「なかなかいい曲だ。僕の詩にぴったりだ」と感心した。
「これは良い。一つ僕たちに舞台で歌わしてくれませんか」
「それは有難い。僕の詩を舞台で歌って貰えれば光栄だよ」と大喜び。
なんともとんだ巡り会わせの再会から、『宵待草』を世間にお披露目する相談が出来てしまうと、その場で楽譜を書き写し、後の人気はいわずもがな、というやつです。
もとはといえば旅のしくじり。よんどころなく京都で立ち往生したのが幸いして、かの名曲は世に出た、というのですから、まさしく万事塞翁が馬、人生はオペラよりも奇なり。
この他にも興味深いエピソードがいろいろと語られている本書ですが、あいにく表紙の状態が非常に悪く、破格のお値段でサイトに出しております。もちろんお読みいただくぶんには何の支障もございませんので、状態をお気になさらない方はどうぞご検討くださいませ。