捧げられた天使 ―『四谷シモン 人形愛』の改訂

昨年来の疫禍で、これまで出店していた催事の多くが中止の憂き目ということもあり、ついブログが放置気味になってしまう今日この頃。久々に更新を思い立った本日(8月5日)は澁澤龍彦の命日とのことで、それに少しは関連した話題をひとつ。
俎上に乗せるのはこちら、同じタイトルの2冊です。

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『四谷シモン 人形愛』(監修:澁澤龍彦 美術出版社) 昭和60年初版平成5年改訂新版

人形作家・四谷シモン氏の作品図版を中心に、澁澤との対談、瀧口修造や東野芳明の文章なども収められるこの本は、澁澤の監修によって昭和60年(1985)に刊行されたもの。
その2年後、昭和62年(1987)に澁澤はこの世を去るわけですが、それからさらに6年経った平成5年(1993)に改訂新版が出た勘定になります。

新旧2種類の『人形愛』。
では監修者の没後になされた改訂でいかなる変更があったのでしょうか。

両版の内容を見比べると、改訂版には新たに人形4体の写真、8図版が加えられていることに気付きます。


加えられた作品はすべて一つのシリーズとして製作されたもので、本書に記されたタイトルは「ANGES MELANGES, ANGES DERANGES a l’ame de Monsieur Shibusawa」。
あるいは「天使 ―澁澤龍彦に捧ぐ」シリーズといったほうがピンとくるという方もいらっしゃるかもしれません。

専門のフランス文学のみならず、広く異端の芸術の紹介者であった澁澤龍彦が四谷氏にとっても長年にわたり大きな存在だったことはよく知られた話で。
たとえば本書所収の対談の中でも語られていますが、そもそも四谷氏が球体関節人形を手掛けるようになったきっかけというのが、古本屋でたまたま手に取った雑誌の中に、ドイツの人形作家ハンス・ベルメールの作品を紹介した澁澤の文章を目にしたことだったとか。

またその後の交流の一端は、たとえば雑誌『みづゑ』の澁澤追悼特集に寄せた四谷氏の文章にも窺うことができます。

二十代の頃から北鎌倉にお邪魔し、澁澤さんに魂の洗礼をしてもらった僕は、自分の作る人形の方向が、澁澤さんによって決定づけられたと思っている。《…》

同じ文章の中で四谷氏は、その年の4月に澁澤と会った際のやりとりについても回想しているのですが、そこで澁澤に打ち明けているのがまさに「天使」をモチーフに人形を作るという腹案。

……今度は何を作るのと聞かれたので、今は天使を作りたいと思っています、と言ったら、ちょっと意味ありげに、シモンの作る天使だからどうなっちゃうのかなあ、と澁澤さんが力なく笑っていたように見えた。僕は、自分の作る天使はやっぱり少年に決まっていたから、澁澤さんに天使にもちゃんとつけますよと言った……。

とあります。

この面会からほどなく澁澤はこの世を去り、翌昭和63年(1988)から制作されてゆく「天使」のシリーズには「澁澤龍彦に捧ぐ」の一文が添えられることに。

そのように深い意義のある一連の作品が、改訂版の『人形愛』に挿入されている、とはつまり“澁澤が生前に監修した本の中に、死後天使となった澁澤の姿がある”という出版物の妙、 いわば時間や生死を超越した格好ですが。

脈絡もあやふやにふと思い出されるのは、澁澤最後の小説『高丘親王航海記』の中で、舞台である9世紀の東南アジアにいるはずもないオオアリクイや、200年前に生きていたとされる人物が登場するなど、理に合わない(作中の言葉でいえば「アナクロニズムを犯している」)時空超越の遊びがあちこちに挿し込まれていたこと。
作中、親王の従者・円覚は「そもそも大蟻食いという生きものは、いまから約六百年後、コロンブスの船が行きついた新大陸とやらで初めて発見されるべき生きものです。」と、 メタな怒りを表明したものですが、かの博識の従者はこのたびの時間を遡行する“天使”をどんなふうに評するか。想像してみるとちょっと微笑ましくもあります。

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