『狂歌百鬼夜狂』の話

江戸時代中期、はじめ上方で発展した狂歌はやがて江戸にその中心を移し、天明年間ごろといえばまさに狂歌流行の円熟期。天明五年の一夜、深川にて開催された狂歌会で詠まれた百首を一冊にまとめた書物があり、名を『狂歌百鬼夜狂』といいます。

収められた歌をいくつか紹介すると、

・【雪女】白粉(おしろい)にまさりてしろき雪女 いつれけしやう(化生・化粧)のものとこそみれ
・【切禿】ふりむけば廊下にたちし切禿 ひそ/\声のしにんすといふ

(※禿(かむろ)は遊郭で遊女の身の回りの世話をする童女。『しにんす』は遊女の使ういわゆる“ありんす語”で『(自分は)死にました』)
・【うぶめ】子とみせて石を抱するうぶ女こそ 誰が目をかけておもひもの(思い者・重い物)なる

といった具合に、掲載された百首すべてが“お化け”を題にとった洒落歌・戯れ歌。当夜の会場では一首詠むごとに灯心の火が一本ずつ消されたというのですから、いわば狂歌で語る百物語でした。

この夜あつまったのは十五人の狂歌連であったとか。顔ぶれを見回せば、まず天明狂歌の中心的人物で、のちに蜀山人と名乗る四方赤良。赤良の門下で宿屋飯盛というのはその名の通り宿屋を営むかたわら狂歌師として知られた石川雅望。同じく赤良門下の鹿津部眞顔(しかつべのまがお)は戯作者としては恋川春町の弟子・恋川好町の名を持ちます。
この前々年から前年にかけて北海道を旅して江戸に帰ってきた平秩東作(へづつとうさく)は、お化けつながりで紹介すれば『怪談 老の杖』の作者。
浮世絵師で戯作者の山東京伝の名前はもしかしたら、内田百閒の幻想的な短篇小説集『冥途』所収の一篇「山東京伝」で覚えている方もいらっしゃるかもしれません。

“宿屋の飯盛”や“しかつめらしい真顔”のほかに、大屋裏住、つむり光、土師掻安(はじのかきやす)……と、名前だけ見るとなにか「たけし軍団の宴会」のようですが、じつは天明の売れっ子文化人・クリエイター同士の交流というわけで。
平賀源内や上方の木村蒹葭堂などとも繋がっていく、この時期の文化人たちのネットワークは辿れば辿るほど面白いのですが、その辺り今日のところはさておき。

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この狂歌会・狂歌集については、随筆集『夷斎清言』の中で、石川淳も一文を寄せています。
幼きに儒学者の祖父から論語の素読を指南され、長じてはアンドレ・ジッドやアナトール・フランスといったフランス文学の翻訳、一方で「江戸留学した」と自ら語るほど江戸文学を読み込んだ博識の文学者。朗々と語る天明狂歌論もさすが、百物語の趣向に誂えられた狂歌集の形式から、当時の狂歌師たちの文学上・生活上の精神を見出し、あまつさえ十九世紀フランス文学と比較してみせるなど、和漢洋の懐深い教養から生まれる確固たる見識。
石川によるこの「百鬼夜狂」論が興味深いのは、いかにも豪華な狂歌会参加者たちの職業や経歴ではなく、彼らの年齢に注目することで天明狂歌の精神を読み解こうとしている点です。曰く、

これは後世があるひは想像するかも知れないやうな老のすさびではなかつた。一座の年ごろをざつと見わたすと、天明狂歌師中の最年長である大屋裏住こそときに五十二ではあつたが、この道の先達とされる四方赤良は三十七、参和はそれと同年、東作はそれより一つ年上、飯盛と眞顔とは三十三、定丸は二十七、京傳は二十五であり、四方連の平均年齢はかならずや三十歳を多く越えない。げんに、赤良がはやく狂歌を唱へたのは、これよりさき明和安永の交、二十代に起つてゐる。天明狂歌はその発祥に於て青春の運動であり、老朽の徒はかへつてこれに参加しないといふ事情があつた。

“狂歌”“和歌”“俳句”“川柳”など十把一絡げに「老いのすさび」としてしまいがちな今日の見方に対して歯止めを利かせ、名だたる参加者たちの文化人・知識人・芸術家という高邁なイメージに対して「青春の運動」という言葉でわざわざ先回りの釘を刺すと、いよいよその表現上の形式から精神の趣までを一気に語りはじめるわけですが、その饒舌な文体の、陶然とさせられるようなリズムは引用ではなく是非原文で味わうことをオススメします。

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『狂歌百鬼夜狂』の刊行から四十数年経った文政十二年、今度は上方で同様の催しがあり、こちらの記録は狂の字をすげ替えて『百鬼夜興』。
平成14年に古典文庫から刊行された『狂歌百鬼夜狂・百鬼夜興・百千鳥・文茂智登理』で“狂”“興”ともに読むことができるのですが、残念ながら現在は古書で探すしかありません。

昭和六年の雑誌『郷土研究 上方』第九号(昭和四十四年合本にて覆刻版刊行)には、「江戸の百鬼夜狂と上方の百鬼夜興」という記事が載っています。参加者、書物の体裁、題などを比較した後で、メインイベントは両書から“雪女”“女の首”“人魂”など同じ題の歌を並べ、それぞれに勝ち負けを評するという「歌合わせ」。俗な遊びの趣向がかえって狂歌にふさわしい試みともいえるかもしれません。

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お読みいただきました通り、斑猫軒店主に“お化け”“妖怪”の話を書かせると、長い記事になります……。興味のない方にとっては思いのほか面倒くさい場合があるかもしれませんが、ご容赦くださいますよう、あらかじめお願い申し上げます。

(江戸の文化史に関連する書籍、古典怪談文芸、石川淳著作の買取につきましては当店ホームページ『お問い合わせ』フォームよりお気軽にご相談ください。)

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