泉鏡花『新泉奇談』をめぐる議論の経緯(2)

【前回まで】
泉鏡花の没後数年を経て発見された未発表小説『新泉奇談』の原稿。
生前の鏡花を知る文学者たちの見立てでは、筆跡も文体もたしかに鏡花自身のものでした。
前後の状況にいくらか不審な点があるのを気にしつつも、結局原稿は真作と判断され、京都和敬書店から出版される運びとなったのですが…。

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新泉奇談 泉鏡花 千部限定版 角川書店
昭和30年初版 四六判 P290 函ヤケ、天イタミ、時代シミ 元パラ上部少イタミ、袖折れ跡

※  ※  ※

昭和23年の夏、鎌倉。
『新泉奇談』原稿鑑定人の一人であった久保田万太郎のもとを、一人の若者が訪れています。
村松定孝。これに遡ること10年前、昭和13年に大学の卒業論文の取材のために鏡花本人と面会して以来、およそ七十年にわたって研究を続け、やがて鏡花研究の権威となっていった文学者も、このときはまだ大学院生でした。
訪問してきたその村松に久保田は、すでに出版に向けて動き出している『新泉奇談』について話すのですが、このときの久保田の所見もやはり里見弴同様(前回ブログ記事参照)、しかとは真贋を断定しかねるというもの。

その小説原稿の筆跡は、まつたく鏡花のものゝようであるが、鏡花の生前に何人も作者から同作のあることを聴かなかつたのが不思議であると語られ、若しかすると代作か偽作か? の疑ひが起らないでもないが、しかし文字は鏡花のそれと酷似してゐるため、どうとも真偽のほどは、簡単には決定し難いといふのが久保田氏のその日の御意見だつたやうに記憶してゐる。村松定孝「新泉奇談は鏡花の作ではあるが」(日本古書通信第153号)より

とにもかくにも近々上梓の運びとなっているという久保田の言葉に、期待を膨らませる村松。
ところがその後、待てどくらせど本は出ない。

それきり何の進展もないまま、とうとう五年の月日は流れ、昭和二十八年。
すでに研究者として身を立てはじめていた村松は、『現代文豪名作全集』(河出書房)中の一冊『泉鏡花集』の解説を依頼され、この機会にまだ世に知られていない『新泉奇談』について紹介することを思い立ちます。
そこで『新泉奇談』原稿の鑑定を取り仕切った寺木定芳(前回参照)のもとを訪ね、例の出版の話がその後どうなっているのか問うてみると、版元である和敬書店の経営不振で頓挫しているとの返答。それでも校正刷までは既にに出来ているというので、村松はそれを借り受け、目を通してみるのです。

率直に云つて、それを読んだときの私の読後感としては「これはひどい」と思わざるをえなかつた。
《略》…該小説に使はれてゐる語句には、あの鏡花独得の詩もリズムもぜんぜん感ぜられない。成程筋立は鏡花ごのみの薄幸の女性が痛ましい運命に泣き、その女主人公を劬はる青年貴公子の登場などお定まりのプロレットの展開はするけれど、どうも主人公のイメージが浮かんで来ない。
「『新泉奇談』に関するノート」(角川書店版『新泉奇談』巻末解説文)より

この校正刷にはすでに里見弴らによる解説も付されており、これは前回すでに述べたように鏡花の真作と断ずるのを躊躇する内容。また村松が最初に『新泉奇談』の話を聞いた久保田万太郎も同様の疑念を示している――、そうして今、みずから全篇に目を通したこの作品の出来栄えに、いよいよもって村松は心を挫かれてしまいました。
結局村松は、依頼を受けていた『泉鏡花集』の解説の中で、その原稿が存在するという事実のみを紹介するにとどめ、

その筆跡、作柄が鏡花であることは鏡花の遺族知人関係者(先年死去された鏡花未亡人及び寺木・久保田・里見の諸氏)の間に既に立証されてゐる。しかし、何故その原稿が生前発表されず且つ亦、鏡花の手元になかつたか、その疑問の余地がすくなからず残されてをり、さうした謎解きは今後の研究を俟つ他はない。

と、判断を保留するほかありませんでした。
村松のこの文章はおそらく、『新泉奇談』の存在を世間に広く紹介した最初のものですが、晴れがましかるべきその第一報は、“鏡花の未発表小説”という事件の大きさや、ここまで辿ってきた経緯の紆余曲折からすれば、いかにもアッサリとした説明にとどまることとなったのです。

ところが、『新泉奇談』をめぐって鏡花ゆかりの文学者の間で為された8年間の議論の一部始終は、翌29年、意外なところから世人の知るところとなります。
この年、文芸誌『群像』2月号に佐藤春夫が発表した「舊稿異聞―傳鏡花作『靈泉記』について」という短篇小説は次のようなあらすじ。

語り手である著者が初めて「浦松」という青年と知り合った頃、まだ青年は私立大学の学生だった。そのとき浦松は鏡花について卒業論文を書こうとしており、紹介状を持って鏡花本人と面会するとともに、著者のもとへも取材に訪れたのだった。
以来数年に渡って付き合いは続いて、今は鏡花研究者として知られだした浦松があるとき、著者の知恵を借りたいと訪ねてくる。聞けば昭和21年の秋、原稿用紙三百枚近い鏡花の未発表小説が発見され、鏡花周辺の文学者たちの間で議論を尽くし、出版の話が出ていたがそれなりになっている。そこでこの作品について、現在依頼されている全集の解説で紹介したのだが、いまだその真贋をめぐって判断をつけかねている、という。

以下、その原稿をめぐってこれまで出てきた文学者たちの意見や、浦松自身の考察などが述べられるのですが、佐藤春夫のこの文章が“短篇小説”とはいいながら、ほとんど『新泉奇談』周辺の事実に即していることはいうまでもありません。
村松の名前を「浦松」、『新泉奇談』を『靈泉記』と書き換えてはいるものの、話に登場する寺木定芳や里見弴、久保田万太郎などの作家仲間は実名のまま語られており、著者の佐藤も別段この“小説”が実話を元にしていることを隠すつもりはなかった節があります。

ただし、この作品について村松のほうでは、あくまで小説なので事実と異なる部分もあり参考にはできない、として、多くを語っていないことにも少し触れておきます。
村松が佐藤の『舊稿異聞』のどの部分を指して事実と異なるとしているのか、具体的にされてはいませんが、『舊稿異聞』を一見して村松自身の回想と齟齬が見られるのは、他ならぬ「浦松」の作中における発言や意見。
『舊稿異聞』に描かれる「浦松」は探究心と正義感に奮い立つ若き研究者として、寺木や里見、久保田らの曖昧な結論を非難し、「つまり僕としては」「この作はもう贋作として解決した問題なのですが」「もつと決め手がほしい」 とまで発言しているのですから、露骨にモデルとされている村松としては立場上触れずにすませたいのも当然。
いったい村松が事実そういう発言をしたのを隠したがっているのか、佐藤が村松の控えめな言葉を曲解して受け取ってしまったのか、あるいは事実など無関係な全くの創作として挿入された会話なのか――、いずれ考えても埒の明かない話には違いないのですが。『舊稿異聞』の中で著者が若い「浦松」をなだめて言うセリフを借りるならば「わからない点はわからないままが本当」といったところでしょうか。

なにはともあれ、いかに事実らしい内容であっても、あくまで小説として書かれたものを実証の材料にできない、というのは確かにその通りで。
作中には『新泉奇談』真贋問題に関連してなかなか示唆にとんだ記述もあるのですが、それは次回以降、必要があれば傍証的にご紹介する程度に留めるとして、話を先に進めます。

内容はともかくとして、佐藤の『舊稿異聞』発表をきっかけに学会の一部で鏡花の未発表小説『新泉奇談』への注目が高まったことは、さすがに村松自身も認めるところ。

さらにそれから幾らも経たない同年3月25日、毎日新聞に「秘められた鏡花の小説」と題する記事が掲載され、『新泉奇談』の存在とその議論のあらましが、今度は実名で紹介されます。
はじめ村松によってその存在が広く紹介されたのを皮切りに、あたかも止まっていた時が動き出したかのごとく、俄かに騒がしくなってきた『新泉奇談』原稿の周辺。
物事の運びに「時流」というものがあるのならば、明治35年以来忘れられていた鏡花の幻の小説(?)にもそろそろ出版の話が出てきてもよい頃合。否、時すでに満ちて、事態はとうに動き出していたのです。

じつは毎日新聞の記事の出る少し前、『新泉奇談』を別の版元から出版してもらえるよう、和敬書店の店主・関は寺木定芳に相談しており、寺木はその件を毎日新聞の学芸部長・狩野近雄に一任。
その後、同じく毎日新聞学芸部の記者だった小山勝治が角川書店にこの話を持ち込んで、出版の了承を取り付けており、毎日新聞に掲載された記事はいわばその宣伝を兼ねたものでした。
そうしてこのとき、いまだ世に知られていないその作品の解説文執筆を依頼される研究者は、村松定孝をおいて他になかったことはいうまでもありません。

さて、今度こそいよいよ上梓されると決まった『新泉奇談』ですが、そこで村松にはどうしても自分の目で確認しておきたいものがありました。
もちろんそれは『新泉奇談』の自筆原稿。この作品が鏡花の真作であることを示す唯一の根拠ともいえるその“筆跡”は、解説の責を負う上で、また一人の研究者の興味として、ぜひ確かめておかなくてはならないものだったのでしょう。
折りしもこのとき、角川書店出版部長松原純一は、和敬書店のもとで既に出来上がっていた校正刷をそのまま印刷するという安易な方法を退け、みずから京都まで赴いて関の所有する自筆原稿を借り受けていました。
同年4月29日、その松原から原稿を見にこないかという連絡を受けた村松は、翌30日に角川書店へ。その傍らに、資料として用意した一冊の本を携えての訪問でした。

《この話は次回に続きます》

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