泉鏡花『新泉奇談』をめぐる議論の経緯(3)

【前回まで】
版元である京都和敬書店の経営不振によって長く頓挫したままとなっていた泉鏡花の未発表小説『新泉奇談』。
若き国文学者、村松定孝がこれを世に紹介したのをきっかけに事態は好転、ついに角川書店から出版される運びとなったのですが。

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新泉奇談 泉鏡花 千部限定版 角川書店
昭和30年初版 四六判 P290 函ヤケ、天イタミ、時代シミ 元パラ上部少イタミ、袖折れ跡

※  ※  ※

版元である角川書店の出版部長松原純一が、京都和敬書店・関逸雄から借り受けてきた『新泉奇談』の生原稿。
これを目にする機会を得たことは村松にとって幸運そのもの。
なにしろ、これまで村松が作品を検証するための資料としていたのは、和敬書店が刊行のために準備していた校正刷の写しで、筆跡などを検めることもできなかったのです。

しかし、いかに鏡花文学の作品研究をしてきたとはいえ、筆跡鑑定などは門外漢といってもよい村松。松原の申し出は唐突でもあり、充分な下調べなどもできません。

とりいそぎ村松が角川書店に持参したのは恩師・本間久雄の著作『続明治文学史』。この本の口絵に写真掲載される鏡花の『青切符』原稿は明治35年頃のもの。『新泉奇談』が執筆されたと推測される時期に近い作品で、この写真の筆跡を鑑定の手がかりにしようと考えたわけです。

はたして目論見は見事に当たり、初めて目にする『新泉奇談』原稿の筆跡は、『青切符』のそれと酷似。さらに村松は、その日のうちに松原を伴って師である本間の自宅を訪問し、本間の所有する『青切符』原稿の現物と『新泉奇談』原稿の比較を願い出ています。

本間のほうでは村松の問い合わせに対して「たしかに似てはいるが…」と返答するも明言は避け、代わりに別の鑑定人を紹介しました。

紹介された星野麦人は鏡花と同じ尾崎紅葉の門下で、『青切符』が掲載された雑誌「俳藪」の編集者でもあった人物です。
星野は『新泉奇談』の原稿を見るや、それが鏡花の筆跡に間違いないことを認め、ここでようやく村松は、自身が刊行に関わったこの疑惑の作品に、自分なりの確信を得たのでした。

以上の成り行きは、昭和30年、ようやく刊行された『新泉奇談』の巻末に収録された村松の解説文「『新泉奇談』に関するノート」に記された内容を要約したもの。

しかし、です。
村松が自身の眼で原稿を確かめて得たこの結論は、はたして『新泉奇談』贋作説を抑えるだけの説得力をもった証拠といえるでしょうか。

いったん話を整理すれば、そもそもの初め、鏡花にゆかりのあった寺木定芳や久保田万太郎らが、「『新泉奇談』は鏡花の真作に相違なし」と判断した際、その主な根拠となったのが原稿の筆跡。

一方でこの作品を鏡花のものと断ずるには疑念を抱かざるをえない不自然な点、
・原稿発見にいたる経緯の不可解さ。
・作品の内容自体の未熟さ。
などは謎のまま残っており、村松が真作説に確証を持てなかったのもこうした事情からだったはず。

にもかかわらず村松は、ここにきて今さら筆跡を根拠に、真作説を確信したと述べているわけです。

なるほど得心のゆかぬ他人の言も、自ら検証してみることで腑に落ちる、ということはあるのかもしれません。
とはいえ、それはあくまで村松が個人として納得しただけの話で。

そこに第三者を納得させるだけの客観的な説得力があるわけではなし、ましてや刊行された『新泉奇談』は筆跡の検証など及ばない活字本。
読者の間にまたぞろ同じ疑念が蒸し返されるのは目に見えたこと。
ほかならぬ村松自身が寺木らの鑑定にもかかわらず、長きにわたり疑念を抱いてきたのと同様に、です。

そして、案に違わず刊行の翌年、昭和31年11月。雑誌「日本古書通信」に、「神泉奇談は鏡花の作にあらず」という挑発的なタイトルの一文が掲載されたのでした。

……ところがその原稿は既に手頃な単行本になつてゐることを、この頃になつて知つたので、大きな期待を以て読みかけたところが、私の期待は裏切られた。始めの二三十頁を読むか読まないで、私はその本を投出した。こんなものは鏡花ぢやない。鏡花は断じてこんなものを書きはしない。――私は一人で息捲いた。

筆者の名は森銑三。おもに江戸期の文献を蒐集、研究する在野の学者でしたが、その知識の広範なことで知られ、近代文学にも精通する博覧強記の人物。
森はこの一文の中で、「新泉奇談などという題名からして鏡花ではない」と批難するのを皮切りに、作中の言葉遣いや仮名遣いをいくつも挙げては、「かやうな文句からして一人よがりでしつくりしない」「あまりに型にはまつて面白からぬ」と、表現のキズを指摘し、ついにはこの小説の本当の作者は鏡花の実弟でやはり作家であった泉斜汀であろうとの大胆な結論を披露しています。

寺木や村松らの筆跡論も客観性を欠いたものではありましたが、森の批判はこれに輪をかけて主観的なもの。本来ならば問題にすべきほどの論でもなさそうです。
とはいえうっちゃっておくには少々相手が悪い。まだ若い一介の国文学者村松に比べて、その発言は影響力の面からみてもいい加減にあしらっておけるものではなかったのでしょう。
村松はすぐさま森に手紙を出し、『新泉奇談』を鏡花の真作と断定した事情を説明したのでした。

上記の経緯だけをお読みになった方の中には、森のことを「権威をカサにきて独りよがりの論を通すイヤな爺」とお思いになる向きもあるかもしれませんが、さにあらず。
野に在って権威に付かず、その清廉な気質は永井荷風をして「真の学者」と評せしめたとか。

森の文章が掲載された翌々月の「日本古書通信」には、村松による反論「新泉奇談は鏡花の作ではあるが」が掲載されましたが、この文章自体が、村松からの手紙に対して諒解の意を示した森の要請によって書かれたものだと、村松はことわりを述べています。

「古書通信」に掲載された村松の反論は、おおよそ当ブログで長々と紹介してきた経緯を辿る内容。
ただし、いくつかの重要な記述も見られますのでちょっと触れておきます。

まず、森が『新泉奇談』の本当の作者として名を上げた鏡花の弟、斜汀について、じつは遥か以前に里見弴がその可能性を示唆していたこともあって、村松はすでに星野麦人に面会した際に確認をとっていたのでした。
その際、星野は戸棚から斜汀の筆跡のわかる資料を取り出して見せ、鏡花とはまるで似ていないことを示した、とあります。

なお、村松の文章が掲載されたさらに翌月には、森の続篇ともいえる「新泉奇談の作者は斜汀か」が掲載されており、斜汀の作品と『新泉奇談』の文字遣いなどを丹念に比較した論考でしたが、これはもとより前号での村松の反証をさらに覆すものでもなく、森自身も手紙で説明を受けて諒解しているからにはさほど意味のない論。
憶測ではありますが、最初に掲載された「新泉奇談は~」の文末に、「以下稿を改めて、今一回新泉奇談に就いて筆を執ることにしたい。そして斜汀の作品を調査した結果を発表して見たい」と書いた森が、一応の約定を果たした、ということだったのかもしれません。

斜汀作者説については一応これで決着したと見ることができますが、「古書通信」に掲載された村松の文章の中にはもう一つ、大いに注目すべき記述がありました。

すなわち、原稿とともに発見された鏡花の手紙について。
お忘れの方もいらっしゃるかもしれませんが、昭和20年頃に『新泉奇談』が発見された際、その原稿には大阪毎日新聞社内菊池幽芳宛の手紙が添えられていました。
本来ならば「原稿送る」の旨が記されたこの手紙こそは、原稿の筆跡以上に客観的な、鏡花真筆の証拠となる品のはず。
ところがじつはこの手紙、一方で『新泉奇談』真作説をぐらつかせる材料にもなりうる危うい代物でもあったことを、村松は明かしています。

話の通りをよくするために、ここでその手紙の内容をざっくりと意訳すると以下のようになります。

拝啓、いかがお過ごしでしょうか。
なかなかお伺いすることもできず失礼いたしております。
先日、(小栗)風葉氏を通じてお話させていただきました件、さっそくご相談くださりありがとうございます。
諸々の都合もあり、すぐに起稿いたしまして、ひとまず二十回分だけお送りいたします。ただいま続きを書いているところですが、出来ましたら原稿料は三十回分先にお貸しいただきたいと存じます。
いつもご無理を申し上げて恐れ入ります。会社の方にお気兼ねがございますようでしたら、お送りした原稿分のみでけっこうですが、できましたらご配慮いただけますと幸いです。
月末につき、何卒お察しくださり、御一笑のうえご了承いただきたく存じます。

近ごろそちらはお変わりございませんでしょうか。おいおい暑くなってまいります折柄、ご自愛くださいませ。

(雑誌)『新小説』にご寄稿いただきました新作は、(日本画家・水野)年方の口絵が今回は間に合わず、代わりに(田代)暁舟が念入りに仕上げております。

いつも御無沙汰しておりますのでいささか照れくさく、ご冗談も申し上げずお返事させていただきました。

敬具

さてこの手紙、発見された当初からあった泣きどころは、「作品20回分送る」とはあっても、その作品名がどこにも記されていない点でした。
つまり、村松の言を借りるならば、「鏡花が何か他の小説を売り込むために書いた書簡ともとれないことはない。」ということ。

いや、話がこれだけならば、この手紙は、鏡花真筆説派の有力な根拠として推されることこそないものの、一つの傍証と位置づけられて済んでいたはずなのですが……。
事態はもう少し厄介なことになっていたのでした。

というのも、『新泉奇談』原稿と書簡の受け取り人であった菊池幽芳自身が、原稿にも書簡にもまったく覚えがないと証言していた、ということが、ここにきて明らかにされたのです。

《この話は次回で終わります。今少しお付き合いくださいませm(_ _)m》

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