ニュートンと錬金術の時代

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ニュートンの錬金術 B・J・T・ドブズ 訳:寺島悦恩 平凡社
1995年初版 A5判 P443 カバーヤケ、クスミ、上部イタミ 裏遊び紙少ラベル剥がし跡 末尾数ページヨレ 《※こちらの書籍は売り切れとなりました 1/29追記》

アイザック・ニュートンが近代に遺した功績(たとえば光の屈折率と色に関する理論、現在の物理学の基礎となるニュートン力学、微分積分法の基礎定理などなど……)は知られていても、それらが17世紀後半の出来事であることまで知っている人はそれほど多くないかもしれません。
ましてやその時代の化学研究が近代のそれとは程遠く、神秘思想・ヘルメス主義に基づく“錬金術”であったことや、あまつさえニュートン自身が錬金術に関する多くの手稿を書き残していることなど、ちょっと聞いただけではトンデモ説か、何とかコードのようなフィクションと思われかねないほど、一般的なニュートン像とかけ離れています。

それもある意味では仕方のないことかもしれません。というのも、科学史の分野では多年にわたり、ニュートンの近代的な成果のみが強調されてきたのであり、錬金術のごとき「軽蔑に値することこの上ない」「愚か者やならず者がでっち上げたにすぎない」(デイヴィド・ブルースター)ものは、ニュートン卿の名誉を汚す研究として黙殺されてきたのだそうで、本書の冒頭ではニュートンの死後まもない18世紀からその錬金術研究がどのように受容されてきたかという記録を丹念に追っています。

 
 長く日の目を見ることのなかったニュートンの錬金術手稿について研究が進んだのはようやく20世紀に入ってからのこと。1936年、ニュートンの姪の子孫が保管していたこれらの手稿がサザビーズの競売に出されたことによって、多くの研究者がこれらを参照する機会を得たのでした。

 競売後に散逸しさまざまな大学図書館や博物館に保管されていたニュートンの錬金術手稿を手を尽くして参照し、その研究と思想の全貌を探る試み――本書の性格を一言でいうならばそんなところでしょうが、この作業にあたっての著者の立脚点は、第1章で引用しているジョン・メイナード・ケインズの言葉に近いものです。

 ニュートンは理性の時代の最初の人ではなかった。彼は魔術師たちの最後の人、最期のバビロニア人にしてシュメール人、そして、一万年に幾分満たない昔、私たちの知的遺産を築き始めた人々と同じ眼で物質世界ならびに知的世界を眺めた最後の偉大な精神であった。

 近代物理学の祖として最初に世界を疑似科学「錬金術」から解き放った人、ではなく最後の旧時代人としてニュートンを評価しなおすこと。
 その過程では、『光学』や『プリンキピア』のような代表的な発見でさえ、ニュートンの世界観の中では錬金術的思考と結びついていることも示されます。
 
 同時に述べられるのは、17世紀後半における錬金術が、宗教的思想の影響強い中世のそれとは趣を異にして、金属精製のより実用的な段階にあったということ。ここに、ニュートン錬金術が近代科学へと繋がってゆく必然の土壌を見止めることができるわけです。

 こうして、大きな断絶と見られていた「錬金術の17世紀」と「近代科学の18世紀」の間に連続性を見出しもする論考。
付け加えるならば、これを空理空論でなく読み応えあるものにしている裏付け資料、具体的かつ詳細なニュートン手稿も見落とせません。

アンチモン2、鉄1の割合にして、レグルスを生じさせる。四度レグルスを溶解すると、星が現われる。この徴(しるし)によって、鉄の魂〔精〕がアンチモンの力によって完全に空を飛べる状態になったことがわかるだろう。陶製坩堝で、灰熱を用い……

……行っている操作の手順や厳密さは化学実験そのもの、理論は錬金術という、まさに近代と前近代を繋ぐような不思議な記述。

科学史、思想史、錬金術にご興味をお持ちの方は是非ご一読あれ。

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